浅間山・前掛山を囲む外輪山,切り立った断崖絶壁が続くJバンドの岩稜帯.
鉄雄は狭い岩棚にへばりついたまま,荒い呼吸とともに目を閉じていました.
ゼーゼーと息を切らして登ってきたわけではありません.しかし,眼下に広がる数百メートルの崖を視界に入れた瞬間,ドクドクと心臓が激しく波打ち始め,スマートウォッチの表示を見ると心拍数が一気に 170 bpm(Zone 5) まで跳ね上がっていました.
「金田……だめだ,足がガクガク震えて,次のスタンス(足場)に足が乗らない……手もホールドを強く握りしめすぎて前腕がパンプ(力尽きる)しそうだ……」
全身の筋肉がガチガチに緊張し,完全にフリーズ(Freeze:身体固着)して立ち尽くす鉄雄.
さらに,後ろから迫る不穏な雲を見上げながら,鉄雄は焦り混じりに言いました.
「でも,ここまで危険な岩場を2時間かけて登ってきたんだ……今さら引き返すなんて絶対嫌だ.何としてでも前進して通り抜けなきゃ……!」
岩棚の安全なスペースに腰を下ろしていた金田は,静かに首を振って言いました.
「落ち着け,鉄雄.お前がいま戦っているのは岩場でも悪天候でもない.**『扁桃体(脳の恐怖)の暴走』と『サンクスコストバイアス(執着の心理)』**なんだよ」
なぜ,高度恐怖や岩稜帯,クライミングの局面で,身体は突然動かなくなり,心拍数が爆発するのでしょうか?
脳神経科学およびスポーツ心理学の研究(LeDoux, 1996 [1]; Meixner et al., 2025 [2])は,人間が生命の危険を感じた瞬間に生じる脳内の優先順位の切り替えを明らかにしています.
【正常時の脳(前頭前皮質 PFC 統括)】
視覚・感覚情報 ➔ 視床 ➔ 前頭前皮質 (PFC: 論理・リスク評価) ➔ 適切な体の動き
【岩場・高度恐怖時の脳(扁桃体 Amygdala 優先)】
視覚 (切れ落ちた崖) ➔ 視床 ➔ 扁桃体 (Amygdala: 恐怖・脅威) 【Low Road 直行ルート!】
➔ アドレナリン大量放出 & 心拍スパイク (170 bpm超)
➔ 前頭前皮質 (PFC) が血流低下でフリーズ! (扁桃体ハイジャック)
🤔 「ホールドの握りしめすぎ」と前腕パンプのカラクリ
高度恐怖やクライミングで扁桃体が暴走すると,原始的な生存本能として「何かに力一杯しがみつこうとする筋緊張(Fight or Flight)」が発動します.その結果,必要最小限の力で支持すべきホールドを必要以上の握力で握りしめ,前腕の屈筋群の血流が阻害されてATPが枯渇し,数分で前腕がパンプ(筋不全)に陥ります.